【ゴロウ・デラックス】応仁の乱とは わかりやすい覚え方や原因や勝者(結果)について

2017年5月11日(木曜日)

TBSにて24時58分~25時28分放送の

【ゴロウ・デラックス】

今回は現在になって

売れに売れている「応仁の乱」!

応仁の乱とは?英雄なし…地味すぎる大乱…

そんな応仁の乱について紹介します!

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応仁の乱とは【ゴロウ・デラックス】

1467年(応仁1)~1477年(文明9)の11年間にわたり、

細川勝元(ほそかわかつもと)と山名持豊(やまなもちとよ)とをそれぞれの大将とし、

8大将軍足利義政の後継者をめぐって

諸国の守護大名、小名が細川方の東軍と山名方の西軍に分かれて戦った。

戦乱は地方に拡散し、戦国時代を現出。

京都を主戦場として戦った大乱。京都は荒廃し、以後幕府の権威は失墜した。

応仁・文明(ぶんめい)の乱ともいう。

1467年に起こったので

人の世むなしい応仁の乱(ひと(1)のよ(4)む(6)な(7)しい」と覚えましょう。

引用https://mikata.shingaku.mynavi.jp

応仁の乱・原因とは【ゴロウ・デラックス】

引用http://www7a.biglobe.ne.jp

応仁の乱の発端は、細川勝元の支持する足利義視(よしみ)と

山内持豊が支持する足利義尚(よしひさ)の後継者争いだったのです。

足利義視は8大将軍足利義政の弟で、義尚は義政の息子です。

義政の正室だった日野富子(ひのとみこ)との間に息子、義尚が生まれます。
引用ameblo.jp
日野富子は歴史上一の悪女と言われ、
政治にあまり興味のなかった義政に変わって政権を動かしていたとされる女性です。
そんな女性がすんなりとあとを弟の義視に継がせるわけがありません。
そこから少しづつ溝が広がり始め
この2人の争いに加えて、なぜか畠山氏と斯波氏(しばし)の家督争いがからんで大きな動乱に発展し、諸国の守護大名、小名を巻き込み

細川方の東軍と山名方の西軍に分かれて戦った。

この内乱は、傭兵集団が主要戦力を構成した最初の大規模な戦乱であるといわれる。
『応仁記』というものに東軍16万、西軍11万両軍の動員兵力が記載されていたそうです!

応仁の乱・勝者や結果は【ゴロウ・デラックス】

応仁の乱は、1478年に足利義尚と足利義視が和解したことで、

結局どちらが勝者であるかわからないままに終わりました。

第9代将軍には、善政の息子であった義尚がなり、

10代将軍には義視の息子の義稙が就きました。

ですがこんな説も、

真に大乱が終息するのは1485年の山城国一揆成立や

1493年4月の政変で将軍の廃立を強行し、

畠山政長を暗殺してからは完全に幕閣の主導権を掌握し

細川氏が畿内において戦国大名化の道を踏み出した年を、

戦国時代の始まりとする説もある!

さらにこんな説も!

この戦いで勝ったのは
応仁の乱のどさくさにまぎれて越前一国を旧主・斯波義廉から奪い、

守護大名になった朝倉敏景なのではという説も!

引用http://www.archives.pref.fukui.jp

英雄なし…地味すぎる大乱…なのに結果がわからないところが

ミステリアスで人気なのかもしれませんね!

応仁の乱わかりやすく覚えるには?番組内容を紹介【ゴロウ・デラックス】

異例だらけの大ヒット!?

今売れに売れている話題の本「応仁の乱」に迫る!

だらだら続く…英雄なし…地味すぎる大乱…学校の授業では省略される部分まで

徹底的に解説しつくす30分!

是非ご覧ください!

出場者:稲垣吾郎 、外山惠理(TBSアナウンサー) 、山田親太朗

ゲスト:呉座勇一 課題図書:「応仁の乱 −戦国時代を生んだ大乱」(中央公論新社)

まとめ

応仁の乱調べてみましたが奥が深いというか難しいというか

結局何がしたかったのか全くわかりませんでした!

最後まで読んで頂きありがとうございました。